生活感がデザインにいきる

日々の暮らしを人間らしく営むことも、デザイナーの仕事の1つ

ステレオタイプを強化する表現には注意が必要な一方、
あえて残すことが思いやりにつながるものもあると考えます。

例えば、トイレのピクト。

子どもと暮らしていると
子どもの「おトイレいきたい」「もうでちゃう」だったり、
母はトイレが近いけど
目が不自由なってきたから、歩くのはゆっくりだったり。

地方のショッピングモールは大変広いので
お手洗いまで結構歩きます。

できたばかりの施設で
子どもや母と一緒に行動していると、
トイレの案内がわかりやすい施設には
作り手の思いやりを感じます。

このような、なにげない暮らしの感覚が
「トイレのピクトはわかりやすさが大事」を
素直に実感させてくれます。

欲求や権利がぶつかった場合
生理的欲求・安全への欲求>それ以降の欲求で
折り合いをつけていくのは
グラフィックデザイン限らず行われることと思いますが、
デザインから離れた時間での生活感が薄くなると
自分のつくるものが、机上の空論っぽくなるのでは?と懸念しています。

今は個人事業主で、愛あるツッコミをいれる
仕事仲間が近くにいるわけではないので、
ひとりよがりになっていても、それに気づけない可能性も高いです。

「デザインは、紙の上では終わらない」のテーマは
日々の暮らしを人間らしく営むことも、デザイナーの仕事の1つ
という元仕事中毒の自分への戒めです。
どこにでもいる普通の人間(主婦や労働者)として暮らしを営むことも
デザイナーであることと同じくらい大事。

そういいつつ、結局仕事のためになってるけど・・・