読書記録|家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ

あなたのためにやっているのよ

「ママはね、あなたの未来はは無限なんだから、その能力を伸ばすために一生懸命やっているのよ」
「今頃になってそんなことを言ったって、自分で選んだんじゃないの?あの塾がいいって言ったのは自分じゃないの?」

(本文より引用)

こんな言葉、子どもの頃かけられたことありませんか。

また、企業や自治体の窓口などで、ソフトな対応で可能性を提示しつつも、それを選んだのはあなたであり、あなたの責任にあるという最近よく見かける「選択と自己責任」の空気にも似たものを感じませんか。

この本は、臨床心理士である信田さよ子氏によって書かれた本で、20世紀末から資本主義社会の多くが直面しているポストフォービズムに着想し、国際政治の観点を交えながらDVや虐待の支配構造を分析、どのように生き残り、抵抗するかを考察しています。

ポストフォーディズム

20世紀初頭にヘンリー・フォードが車の大量生産・販売するために開発した、単純化・標準化で無駄を省いた体制がフォーディズム。1970年代以降、大量生産・大量消費から生じた環境問題や社会問題、経済格差の顕在化、グローバリゼーションや持続可能な社会・経済を実現するため、新たな制度・体制を模索する動きをポストフォーディズムという。

父なき、入れ子の家父長制

難しいことはよくわからないけど、国家なんてものも所詮は人が集まってできた集団で、最小単位である家族の集団力学と国家なるものに、似ているところがあるのは自然といえば自然なのかもしれません。
マトリョーシカみたいな、国家>会社>家庭の入れ子の家父長制度がもしかしたら、この国を形作っているのではないでしょうか。
父親はもっと上位の家父長の「子」として、会社や国家に従い、残された母と子で形成される家庭は、上位家長が望むような「子」を世にだすために知らず知らず「あなたのために」と動いていないだろうか・・・

1、2章は読んでいてハッとしたり、う〜んと唸ったり。

母親のという権力

私は心理職の専門家でも社会学者でもないため、この本をわかりやすく要約できる力は持たないのでこれ以上の内容については割愛します。名もないひとりの人の親として、折々で「あなたのために」と愛情でコーティングした支配を無意識にしていないか、振り返るための本としたいと思いました。

家族を形成したとたん権力を手に入れてしまう男性(夫・父)には暴力防止の責任が発生する。子どもを産んだとたんに法外な権力を手に入れる母親にも、同様の責任が発生する

(本文より引用)

父・母・子の三角形から成る近代の家族において、権力と暴力を防止するための「装置」は何か?という問い。
ここで「装置」という言葉を使うのは、愛や性・生殖を過剰に特別視するような精神論や個人の資質の問題などでは、人の持つ支配欲を抑えられないからなのだろうな、と感じました。

余白と選択・自己責任

著者が国際政治からDVや依存症、子どもの虐待問題を考察したように、私も仕事である広告のグラフィックデザインに置き換えながら読んでいました。
昭和の時代の頑固親父のような愛情や支配はキャッチコピーやメインビジュアルといった、明らかに見える「誘導」だけど、愛情でコーティングした支配は「ホワイトスペース」や「マージン」のように、そこには何も見えないのに、誘導させ、自ら見ているように錯覚させる手法とも似ているような・・・

ホワイトスペースもマージンも、たまたま空いてしまったから空けているわけではなく、本来思い通りにはできないものである他者の視線や感情を、少しでも狙い通り誘導するための「見せない意図」が働いています。

目に見える意図と目に見えない意図を組み合わせて作るコミニュケーションという点では、人間関係もチラシも大きな違いはありません。
見えない意図を使うとき、それが持つ支配力を自覚し、支配できると錯覚せずにデザインできるようになったら、コミュニケーションは受け手のものという言葉と矛盾しないデザインができるようになるのだろうか。

雲を掴むような話だけど、そんなことを考えるきっかけになった本でした。