技術の賞味期限

編むというか、しゃべるというか。

最近編み物を教わっています。
といっても別に教室に通ってるわけではなく、親しい友人に手ほどきしてもらいながら、各自好きなものを編む時間。
私は棒針編みが初めてなので、まず、手を慣らすため平面で編める膝掛けに挑戦中。

検索すればいくら編み方なんてあるのに、わざわざ教えてもらわんでもと思われるかもしれないですが、動画解説って頭に入りにくいというか、まどろっこしいし、誰かと喋る口実に編んでる部分もなきにしもあらずなので、これでいいのです。

こんなきれいに編めないけどね
編み物はデジタルデトックス

棒針編みは初めてですが、鍵針編みはかつて何度かブームが私の中でありました。
友達のおばあちゃんに教えてもらったりして、一瞬盛り上がってはすぐ飽きる(忘れる)を繰り返しているので、一向に上達しませんが好きは好きなのです。
この頃、歳をとったからか、デジタル&オンライン化の反動なのか、オフラインでアナログな時間が妙に心地よく、手作業の趣味を持ちたい熱があがって、子どもがYouTubeでぽんぽんメーカーでぽんぽんを作る動画をみたのをきっかけに再燃しました。

かといって、私デジタルに否定的じゃないです。オンラインも大歓迎。でもそれだけじゃなんか心地悪い。

ちょうど今読みかけの「暴力の人類史」という本で、豊かさとテクノロジーが到来する時代への嘆きに対し、統計学者や歴史学者の本を引用しながらこう述べている箇所があります。

私たちの祖先は、シラミと寄生虫にたかられながら、自分達の糞便が積み重なった穴蔵のうえで生活していた。食べるものは味がなく、単調で、しかも断続的にしか得られなかった。(中略)日が落ちれば世界は真っ暗闇となった。そして冬というのは、農場内の雪に閉ざされた家屋のなかで飢えと退屈と強烈な孤独感にさいなまれる数ヶ月間のことを指していた。
だが、私たちの少し前の祖先がもちえなかったのは、日常の身体的な快適さだけでなかった。(中略)知識や美、人間同士のつながりなどにも欠けていた。
歴史的にみればつい最近まで、ほとんどの人は自分の生まれたところから数キロ以上遠くへは移動したことがなかった。(中略)これだけ理由からいくらロマンチックな人でも実際には誰一人タイムマシンに乗らないと思う。

青土社 暴力の人類史 下巻 571-573

疎外感や略奪、環境破壊、消費文化、豊かさとテクノロジーの到来がもたらすものには欠点もあるけど、時間は不可逆的で、いい具合にバランスをとろうとしてるのかもしれません。

技術の賞味期限

友人がもってきてくれた編み物テキストの表紙には、阿部寛っぽいソース顔のモデルさん。
懐かしの男前を愛つつ、まだまだ全然使えて、ブックオフにいけば今も参考にできるテキストがたくさんあって。

これってすごいな、と思うのです。
Adobe Illustrator 8.0テキストだったら今じゃ全然使えないし、つい最近もこんなニュースを目にしたところ。

「Adobe XD」単体販売を終了、サポート継続へ Figmaとのすみ分けは「何も決まっていない」
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2301/25/news106.html

同じ暮らしの中に、ソース顔のテキストがまだ使える世界と目まぐるしく変わる盛者必衰の世界。
ジェットコースターくらい価値観の高低差があって耳がキーンってなります。
アップデートは便利な反面、人が覚える・学ぶことが、資産から消費財にかわっていく気がしなくもないのです・・・。

最近、編み物や世界史といったことに関心がむくのは、変わらない(人間の一生より長いスパンで変わる)ものを拠り所にしたい気持ちがそうさせるのでしょうか。
テクノロジーはどう進みどうかわるか予想できないけど、それ使う人間は背中に羽が生えて自力飛行できるようになったわけでも、象をワンパンチで倒せる腕力をもったわけでもなく。
考えることの土台である身体が進化しないうちは、使う道具は変わっても似たような行動パターンが歴史の中にあるばずだ、みたいな淡い希望を持ちたいのかもしれません。

手が覚えてる限り、おばあちゃんから教えてもらったことが錆びない素晴らしさと、顔もみたこともない遠くに住む人と、言葉だけでつながれて、友好を深めあえる奇跡。

高低差にぶんぶん振り回されながら、いい塩梅めざしていこー。