キャリアモデル開発とユニット折り紙
キャリアなのに「仕事じゃない」じゃん
昨日紹介した、キャリアモデル開発士と作った試作型の「キャリアモデル」を見て、こう思った方もいるのではないかと思います。
「本業(クリアデザイン)以外、仕事じゃないじゃん」
確かにその通りです。
仕事じゃない(少なくとも現時点で収入がない)ものがキャリアなの?
私もやる前はそう思ってました。
そういう時は、語源をちょっとあたってみましょう。
キャリアの語源は車道
キャリア(career)
「career」中世ラテン語の「車道」を起源とし、英語で、競馬場や競技場におけるコースやそのトラック(行路、足跡)を意味するものであった。そこから、人がたどる行路やその足跡、経歴、遍歴なども意味するようになり、このほか、特別な訓練を要する職業や生涯の仕事、職業上の出世や成功を表すようになった。
引用 厚労省 第7回仕事と生活の調和に関する検討会議 関係資料(文章編)より
「キャリア形成の現状と支援政策の展開」(抄)(キャリア形成を支援する労働市場政策研究会報告)
私が持っていた「キャリア」のニュアンスは後者の「職業や仕事、それらでの成功」を指していたようです。
キャリアモデル開発の「キャリア」は前者の「人の足跡や遍歴」にフォーカスを当てたもの、と考えると理解が進みます。
ひとりひとりが持つ多面な個性の中から、
相互に影響を起こせそうな一面を洗い出して、結びつけていくことで、立体的に自己理解を深める—
その時この図に収める「キャリア」を既存の職業に限定してしまえば、
そこで収まらない個性は「見えない」=「なかったこと」になってしまう
キャリア開発の意図をそう想像しました。
また、既存の職業に収めるということは、平たくいえば
「お金にならない個性は人の個性とは見做さない」とも捉えられるわけで、
換金できないものの価値を認めない、軽んじるという考え方を後押しすることにも繋がりかねません。
現行の仕組み・価値観では無償労働になっているけど、社会において欠かせない、価値のあるものはたくさんあることを実感される方も多いと思います。
それに光をあて名前をつけることは、今風に言えば人をエンパワーメント(抑圧をはねのける力や自信を与える)するのでは?と私は図を作成して感じました。
ユニット折り紙とキャリアモデル開発
話はかわりますが、子どもとユニット折り紙をつくるのがブームです。
休みや学校が終わったあと、一緒に折り紙を折って遊んでいます。
くす玉も両三角錐も構成するパーツは同じなんですけど、パーツの数で形が変わります。
色の組み合わせや異素材の折り紙を組み合わせると、同じ形でも印象が変わって、それがまた面白い。
なんだかこれキャリアモデル開発と似てるな、って思いません?(強引!)
私(くす玉)の中にあるパーツの中から「これが私」「この自分を前に出せたら楽しいね」「これとこれ組み合わせたら面白いかも」っていうものを、ピックアップして組み直すと新しい形ができあがるとことか。なんか似てるって思いました。
そうやってつくった自分像を試行錯誤してるうちに、
気づいたら「自分らしい生き方」っていうものが出来てるのかもしれませんね。